劇作家つかこうへい死去/遺言
【追記 2010.7.13】
つか氏らしい遺言です。悲しい...
asahi.comから引用
「つかさん遺言「日韓の間に散骨を」 多くの俳優ら悼む声」2010年7月13日0時51分(前略)
10日に死去した劇作家のつかこうへいさんが、今年1月1日付で「遺言」を書き、4月上旬にマネジャーに「死んだら開けるように」と手渡していた。遺族の同意を得て、つかさんの事務所が公開した。
(以下の通り)
友人、知人の皆様、つかこうへいでございます。
思えば恥の多い人生でございました。
先に逝くものは、後に残る人を煩わせてはならないと思っています。
私には信仰する宗教もありませんし、戒名も墓も作ろうとは思っておりません。
通夜、葬儀、お別れの会等も一切遠慮させて頂きます。
しばらくしたら、娘に日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています。
今までの過分なる御厚意、本当にありがとうございます。
2010年1月1日 つかこうへい
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本日、配信されたニュースで知りました。
ニュースサイトIBTimesから引用
「劇作家つかこうへいさん死去、62歳」2010年07月12日 11:19更新 メール
「蒲田行進曲」「熱海殺人事件」などの作品で知られる、劇作家で演出家のつかこうへいさんが10日午前、肺がんのため千葉県鴨川市の病院で死去した。62歳。
つかさんは福岡県の出身で、慶応大学に在学中から学生劇団で劇作家として演出家をてがけ、1974年に「熱海殺人事件」で岸田戯曲賞を史上最年少で受賞するなど、笑いの中から人間の根底にある悲しみを表現する作品を多く発表し続けた。
大学在学中からアングラ演劇第二世代の劇作家として人気を呼び1970年代から1980年代にかけて一大 「つかブーム」を巻き起こした。
小説家としても「蒲田行進曲」が1982年に直木賞を受賞し、映画化されて大ヒットするなど幅広い分野への貢献が認められ、2007年に紫綬褒章を受章した。
劇団を旗揚げして、三浦洋一、風間杜夫、平田満、加藤健一、根岸季衣など人気俳優を生み出し、多くの演出家にも影響を与えた。
1985年11月、ソウルで韓国人役者による『ソウル版熱海殺人事件』を上演し大成功を収める。この時の出演者(4人)は後に韓国を代表する俳優となり、ヒロインを演じた金知淑(キム・ジスク)の弟である金知雲(キム・ジウン)は、その後映画監督へ転向し成功する等、韓国演劇界に多大な影響を及ぼした。
当ブログでつかこうへい氏の作品をレビューしたのは6年前の次の1件だけでした。舞台中継をWOWOWで鑑賞しています。
2004.05.04 演劇『飛龍伝』
彼にによって演劇の面白さを知りました。1981年の『熱海殺人事件』が最初で、それ以来『飛龍伝』(1990)、『熱海殺人事件-妹よ』(1993)、『熱海殺人事件-モンテカルロ・イリュージョン』(1994)と計4回観ています。
つかこうへい氏の素晴らしいところは、超売れっ子になっても公演は安い料金で提供してくれたことでした。前述の4回の公演も全て2000円前後だったと記憶しています。本当に庶民的で奢らない偉大な方でした。作品も必ず弱者の視点を意識したものになっていました。どんなに酷い展開になっても、究極の思いやりを感じさせる人間性に心底敬服していました。笑わせて泣かせて、人間愛を逆説的にとことん追求していく展開には、いつも驚かされ感心させられていました。
ここ十数年観劇から遠ざかってしまいましたが、またいつかつかこうへい氏の舞台を観たいと考えていました。早すぎる死は残念でなりません。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
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