2014.06.11

6/9放送「ここがポイント!!池上彰解説塾」で紹介されたコートジボワール代表のディディエ=ドログバ選手に深く感動した

1人のサッカー選手が内乱状態の国を平和に導きつつあるという驚きの内容でした。

2014FIFAワールドカップ1次リーグ(グループ C)でコートジボワール代表(FIFAランク23位)と日本代表(FIFAランク46位)は6月15日に対戦します。その国と国家を救った英雄を番組で紹介しました。

次に番組の内容を記述します。

コートジボワール共和国は人口2000万人、GDP(国内総生産)は約2.3兆円(日本は約530兆円)、世界最大のカカオ生産国です。フランス語で象牙(ジボワール)海岸(コート)のこと。

1960年にフランスから独立。2000年ころ軍の武装蜂起により内戦へ、南北の対立が激化。10年近く内戦が続いた。女性や子どもを中心に約2万人の難民が発生。

1人のヒーローが登場。ディディエ=ドログバ(36)

プレミアリーグで2度の得点王。世界的なエースストライカー。5歳のときにフランスに渡り、サッカー英才教育を受けた。

フランスとコートジボワールの2つの国籍を持っていた。祖国を愛する気持ちから2002年コートジボワール代表としてワールドカップ出場を希望した。2005年にワールドカップ初出場決定、初出場を決めた試合直後国民にメッセージを伝えた(当時27歳)。

「コートジボワール国民の皆さん 今日ワールドカップ出場という共通の目標のもとコートジボワールの様々な民族が共存してプレーできることが証明されました。歓喜によって人々は団結できます。今ここでひざまずいてお願いします。どうかお願いです!お願いです!豊かなコートジボワールで内戦が起きるのは許されません。武器を捨ててください。そして選挙をしましょう。それですべて良くなるはずです。」

これによって内戦が一時停止した。奇跡はこれだけではない。

代表の試合は南部の都市アビジャンで行われていたが、北部ブアケで試合をしてくださいと大統領に直談判した。

「北で試合をする。これは「始まり」にすぎない。代表チームが6月にここに来るんだ。」

南北が平和を願い、ひとつになろうとしていた。

2007年6月3日 アフリカ選手権予選 対マダガスカル代表

アフリカのメディアが注目する中で、カメラの前で反政府リーダーに平和を約束させた。

さらに試合でドログバが決勝ゴールを上げた。

この出来事が和平交渉のきっかけになった。

人間的にもサッカー選手としても素晴らしい生き様に感動しました。

全く知らない選手だったので、どのようなプレーをするのかYouTubeを調べたところ次の動画がありました。もの凄い選手のようです。

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2014.01.13

本田圭佑がセリエAデビュー、セリエA 2013/14シーズン第19節 サッスオーロ4-3ミラン(2014/1/12)【追記あり】

【追記:2014/1/16】
ミランの新監督は、クラレンス=セードルフが就任しました。契約期間は2016年6月までの2年半です。

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会場:チッタ デル トリコローレ(レッジョ エミーリアマドリード)
主審:アンドレア=ディマルコ 
監督:エウゼビオ=ディフランチェスコ(サッスオーロ)、 マッシミリアーノ=アッレグリ (ミラン)

前半:2-3
ロビーニョ(9分)0-1
マリオ=バロッテリ(13分)0-2
ドメニコ=ベラルディ(15分)1-2 
ドメニコ=ベラルディ(28分)2-2
ドメニコ=ベラルディ(41分)3-2
 
後半:1-1
ドメニコ=ベラルディ(47分)4-2
リッカルド=モントリーヴォ(86分)4-3

順位:サッスオーロ 16位(勝点17)、ミラン 11位(勝点22)

本田圭佑は2点差を追う後半20分に登場した。良い動きをしてゴール右ポスト直撃シュートやゴール前でのヘディングシュートが見られたが、ゴールを決めることができなかった。

ミランは1選手に4得点を初めて許し惨敗したので、アレッグリ監督が更迭される模様。後任はフィリッポ=インザーギのようだ。

ミラン戦のテレビ観戦は4年振りとなる。

1994年からミランを応援しているが、本田圭佑はデビュー戦で得点を上げなければならなかったと思う。ミランの背番号10を背負った人間は結果を出さなければならない。過去に三浦知良と中田英寿のセリアAデビュー戦を観たが、中田英寿の2得点鮮烈デビューは物凄かった。その後の活躍は言うまでもない。長友佑都はデビュー戦を観ていないが、セリエA 2010/2011シーズン第2節 チェゼーナ2-0ミラン(9/11)での動きを見て、イタリアで成功することは間違い無いと感じた。

<俺が興味のあった日本人3選手のセリエAデビュー戦>

・三浦知良(ジェノア):
94-95セリエA第1節(1994年9月4日)ミラン1-0ジェノア

・中田英寿(ペルージャ):2得点
98-99セリエA第1節(1998年9月13日)ペルージャ3-4ユヴェントス

・長友佑都(チェゼーナ):
10-11セリエA第1節(2010年8月28日)ローマ0-0チェゼーナ

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2010.10.13

UEFA EURO 2012予選 GL_I スペイン3-1リトアニア(10/8)

会場:エルマンティコ - サラマンカ
主審:エンリコ=ロッキ (ITA) 
監督:ビセンテ=デル=ボスケ (ESP)、ライモンダス=ズタウタス (LTU)

前半:0-0

後半:3-1
フェルナンド=ジョレンテ(47分)1-0
ダルビダス=セルナス(54分)1-1
フェルナンド=ジョレンテ(56分)2-1
ダビド=シルバ(79分)3-1

勝点:スペイン 6、リトアニア 3

前半、スペインがボールを支配してリトアニアのゴールに迫るが、守りが固く得点できない。リトアニアは数少ないものの鋭いカウンターでスペインを脅かす。スペインは、サイド攻撃からリトアニアの守りを崩す場面が多いものの、決定的なシュートがポストに弾かれる不運があってゴールが遠い。

後半2分にいきなり試合が動く。セルヒオ=ラモスが右サイドをオーバーラップしてゴール前にクロスを入れ、ジョレンテがヘッドで合わせてスペイン先制。後半9分、リトアニアのデイビダス=シェンベラスがカウンターでドリブルで運び、中央に走りこんでいたセルナスにスルーパスし同点ゴール、1-1。しかし、すぐさまその2分後にスペインはサンティ=カソルラが右サイドからクロスを入れ、再びジュレンテがヘッドで2点目。スペインの猛攻でリトアニアの守備が甘くなる場面が多くなる。後半34分、セルヒオ=ラモスがゴール前にクロスを入れ、シルバがヘッドでゴール左上隅にシュート、3-1。

既に欧州では2年後に向けて各国の代表チームが凌ぎを削っている。今年のワールドカップを制したスペインはやはり強い。開幕2連勝でスペインが王者の貫禄を見せた。

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2010.09.06

BS12 TwellV(トゥエルビ)で9/1から「ミランチャンネル」放送開始

9月1日から“じゆうに見よう”のキャッチフレーズで御馴染みのBS12 TwellV(トゥエルビ)で「ミランチャンネル」が放送開始されました。BS12サイトの番組概要は次の通りです。

ACミラン・チャンネルは、イタリアで1999年に開局した、ACミラン公式の専門チャンネルです。イタリア初のサッカーチーム専門チャンネルとして、ACミランの情報をお届けしています。

ACミラン・チャンネルから、イタリアの名門サッカークラブ「ACミラン」の 2010/2011シーズン出場試合(ホーム&アウェイ)を放送します! セリエAの他、UEFAチャンピオンズリーグ(いずれもACミラン出場試合)もお届けします!
※録画放送です。放送スケジュールは変更になる場合があります。

生放送ではありませんが、大変うれしいですね。
ミラニスタと名乗れませんが、長い間ミランのファンです。

Jリーグが誕生した1993年から、WOWOWに加入してセリエAを観戦してからミランを応援し続けてきました。国立競技場で何回か応援に行ったことがあります。最近はミラン戦が身近なチャンネルで放映されていないため、ず~っと観ていません。本ブログを調べたら一番最近観戦したのは3年前でした。次の記事です。

2007.12.16 TOYOTA プレゼンツ FIFAクラブワールドカップ ジャパン 2007 決勝 ボカ・ジュニアーズ対ACミラン

本ブログではミラン観戦記はあまり書いていませんが、旧erabu(ホームページ版)では「サッカー」のメニューを用意していまいした。

http://homepage3.nifty.com/erabu/sub01.htm

ミランについては2000-01シーズンから2003-04まで記述しています。
WOWOWでミラン戦が放映されるたびに、試合の感想を書いていました。我ながら懐かしいです。
ちなみに、岡田武史氏の後任として日本代表監督となるアルベルト=ザッケローニ氏について一番古い記述は「2001/3/14 ミラン更迭」の記述でした。

BS12は試合の録画放送だでなく、イラリアの現地レポートや選手インタビュー、ミランファンからのコメントなども試合の合間に流しています。昔のWOWOWで放送した頃と同じような気合の入れ方です。「ミランチャンネル」の番組紹介CMではイタリア本国で多くのイタリア人に“じゆうに見よう”と日本語で言わせています。微笑ましいですね。

無料放送なので、2010-11シーズン以降も放送してくれるかどうかわかりませんが、1シーズンだけでも楽しみたいと思います。

ところで、昨シーズンから開始してくれれば、レオナルド監督の采配が観れたのですが、結局1試合も観戦することができませんでした。

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2010.07.02

2010FIFAワールドカップ 南アフリカ大会から帰国した日本代表の記者会見にうるっ!

日テレNEWS24で、昨日(7月1日)行われた日本代表の帰国記者会見の映像がノーカット(20分56秒)で観れます。

サッカー日本代表が帰国 記者会見

岡田監督のコメントが素晴らしく、泣きそうになりました。

本当に素晴らしいチームだったことを実感できる映像です。最後の岡田監督による“ムチャぶり”によるものまねと歌は爆笑しました。

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2010.06.30

2010FIFAワールドカップ 南アフリカ大会 日本敗退0-0(3PK5)

120分間の死闘はスコアレスドロー。

PK戦に突入。
パラグアイが最初に蹴る。

①パラグアイ1人目 バレット ○
②日本1人目 遠藤 ○
③パラグアイ2人目 バリオス ○
④日本2人目 長谷部 ○
⑤パラグアイ3人目 リベロス ○
⑥日本3人目 駒野 × クロスバーに外す
⑦パラグアイ4人目 バルデス ○
⑧日本4人目 本田 ○
⑨パラグアイ5人目 カルロス ○

1試合ごとに強くなっていった日本代表。
世界ランキング31位のパラグアイと消耗戦に突入。
両チームともにディフェンシブ、決め手を欠く攻防となった。
徐々に体力が失われていったが、日本代表は集中して全員攻撃、全員守備で乗り切った。

PK戦で負けたが素晴らしい試合だった。
今大会の日本代表は、間違いなく従来の実力を突き破った。
歴史を変えた日本代表に感謝したい。

■日本の先発メンバー

GK 川島
DF 駒野、中沢、闘莉王、長友
MF 遠藤、長谷部、松井、本田、阿部
FW 大久保

23時に試合開始、26時に試合終了。本当にお疲れ様でした。

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2010.06.25

2010FIFAワールドカップ 南アフリカ大会 日本勝って決勝トーナメント進出!!

○日本3-1デンマーク●

日本サッカーの歴史を変える画期的な一戦となった。
世界ランキング36位のデンマークを撃破!

前半17分、本田圭佑が右サイドのFK。35メートルの距離からブレ球で、ゴール。日本が先制!
前半30分、遠藤保仁が、ゴール正面27メートルのFK。デンマークの壁を超えてゴール右にゴール。2点目!
後半36分、ペナルティーエリア内で長谷部誠がファウルを取られてしまい、デンマークにPK。トマソンが左へキック、GK川島は読んでクリアしはじくが、こぼれ球をトマソンが詰めて1点返される。2対1。
後半42分、大久保嘉人のパスから本田圭佑がゴール前に抜け出し、DFを素晴らしい個人技でかわしてGKを引き付け、岡崎慎司にパス、これを押し込んで日本がダメ押しの3点目。

先制、追加点、ダメ押しと従来の日本代表では考えられなかった、完璧ともいえる攻撃力でグループEを2位通過。

早朝3時からの観戦は眠かったが、本田の先制で目が覚めた。日本代表は後半、運動量が明らかに落ちたが、集中力を切らさずに戦った。4大会目にしてやっと訪れた最高の試合。歴史的瞬間を目撃できて本当にうれしい。 

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2010.06.19

2010FIFAワールドカップ 南アフリカ大会 日本惜敗、オランダに0-1

世界ランク45位の日本が、同4位のオランダに善戦した。惜敗という名にふさわしい試合を見せてくれた。過去の日本代表には感じたことが無い力強さがあった。

日本はカメルーンとの初戦と同じメンバー。本田をトップ、阿部をアンカーに置く4-1-4-1の布陣。前半はオランダのペースだったが、徐々に日本が良い流れをつくって0対0で終えた。

後半は立ち上がりからオランダが攻め込む。後半8分にペナルティエリア左手前にこぼれ、これをスナイダーが強烈なミドルシュート。GK川島が両手でブロックしたが、両手をはじき飛ばされる圧倒的なゴール。失点直後から日本も反撃を開始する。大久保が2回ほどシュートを行い、オランダと互角の戦いをした。オランダのカウンターに対してGK川島が何度も勇気あるセーブを繰り返した。日本代表は後半終了間際からロスタイムにかけて、パワープレーを展開。久々に心が躍った。数少ないチャンスも生まれ、もしかしたら得点が奪えるかもしれないと感じさせる勢いがあった。しかし、得点を挙げることができない。ロスタイムが3分あるにもかかわらず、1分早く試合終了となってしまった。本当に残念。

勝ち点3のまま。決勝トーナメントをかけて5月24日午後8時半(日本時間25日午前3時半)にデンマークと最終戦を戦う。

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2010.06.15

2010FIFAワールドカップ 南アフリカ大会 日本初戦勝利、カメルーンに1-0

世界ランキングは日本が45位で、カメルーンは19位。日本は本田圭佑(CSKAモスクワ)をワントップに置く布陣。前半39分に松井大輔(グルノーブル)がしゴール前に右クロスを入れ、これを本田がゴール左でトラップし、冷静に左足で押し込んだ。

後半はカメルーンは前がかりで攻撃をするが攻めきれず、終盤にはパワープレーで日本ゴールに迫るが日本は集中力を切らさず、逃げ切った。

ともかく審判が判断が公平で良かった。スムーズな試合進行と的確な判定は気持ちが良かった。

4大会連続出場の日本は、1次リーグの初戦で勝ったは初めて。1998年フランス大会で指揮を執った岡田武史監督にとってもワールドカップ初白星となった。

本田は、昨日誕生日で24歳となったばかり。

初戦で勝ち点3は素晴らしい。サッカーの内容はどうであれ勝てたことは日本にとって喜ばしい。

[試合データ]
6月14日(月)
グループE 第1節試合開始: 23:00
試合会場:フリー ステイト スタジアム
主審:ベンケレンサ(ポルトガル)

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2009.06.03

ACミランの来期監督はレオナルド

サッカー観戦から離れていますが、隠れミラニスタなので彼が指揮するACミランを応援したいですね。記事を朝日新聞から引用します。

ミラン来季監督に元鹿島のレオナルド氏 2009年6月1日11時24分

 サッカーのイタリア1部(セリエA)の強豪ACミランの来季監督にJリーグ鹿島で活躍した元ブラジル代表のレオナルド氏(39)が就任することが決まった。クラブ公式サイトによると、ガリアーニ副会長が31日、アンチェロッティ監督の退任とともに明らかにした。

 レオナルド氏は94年W杯で優勝したブラジル代表メンバー。同年に鹿島に加入し、3季所属。卓越した技術と端正な顔立ちで人気を得た。97年からはミランでプレーした。

 03年に引退後、ミランのスタッフ入り。強化担当としてブラジル代表MFカカの獲得などに力を発揮した。ロイター通信によると、指導経験はないが、ベルルスコーニ会長(伊首相)が新鮮味のある監督を望んだという。

 01年に就任したアンチェロッティ監督は8季で欧州制覇を2度果たしたが、セリエA優勝は03~04年の1度に終わった。来季はチェルシー(イングランド)監督就任が取りざたされている。

レオナルドを知ったのは94年のワールドカップからです。アイルトン=セナ似のイケメンでスマートな選手でした。Jリーグ時代はJリーグそのものに興味が無かったので、スポーツニュースで観た程度でした。ACミラン時代から彼が出場する試合をテレビ観戦しました。自分の過去ログで名前を探したところ、セリエA2000‐2001で次の通り書いていました。

ミラン(2000-01シーズン)

今シーズン最後の試合は見る必要も無い試合でした(2001/6/17)

最終節の34節はアウェイのレッジャーナ戦で、2-1で負けました。レッジャーナはセリエB落ちになるかもしれず、残留を掛けたホームでの試合でサポーターの応援には鬼気迫るものがありました。ミランは3バックを採用し攻撃を厚くしました。しかし、前半は中盤でのプレスが厳しくパスが通らない状態でした。後半5分に両チームともに選手を交代しました。レッジャーナはフレービィをコッザに、ミランはホッキ=ジュニオールをサーラに替えます。更に20分★レオナルド★をバに、対してザンケッタをコスタに替えました。23分に左サイドのコマンディーニからカラーゼがパスを受けてシュートをして先制点を取り、31分にレッジャーナが同点としました。ミランが得点したころから、明らかにレッジャーナに得点を許すような甘い守りになります。すでにチャンピオンズリーグの出場権から脱落しているため、勝っても負けてもミランにはメリットが無い試合であったため、消化試合の雰囲気で、ひとり得点王争いをしているシェフチェンコが果敢にゴールを狙おうとしましたが、暴動が起こりかねない雰囲気で他の選手は力を抜いていました。35分にはコマンディーニをビエルホフに交替させ、最後の顔見せが行われました。37分にココのクリアミスをしたボールをコスタが流し込んで2点目としました。これ以降は早く笛が吹かれるのを両チームともに待って、試合終了するとミランの選手はサッサと会場を後にしました。(2001/7/10)

タイトルと記事の後に日付がありますが、タイトル後は試合のあった日で記事後は記事をアップした日になります。
セリエAもチャンピオンズリーグもWOWOWで放送しているときは観ていました。その後スカパーに放映権が移り、何回か契約して観ました。彼の記述は2000-01シーズンのみです。翌シーズンはブラジルに戻り、2002-03シーズンで再びミランでプレーして引退しました。観戦記を書き始めたのが2000-01シーズンからで、すでにスタメンで出場する機会はなく交代要員でした。ミランで大活躍というわけではなかったと思いますが、頼りになる存在だった記憶があります。

さあて、TV観戦ですが、スカパーはすでに契約を止めています。再び契約しないと思いますのでどうするか考えます。

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